東京高等裁判所 平成12年(ネ)3100号 判決
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、一二三〇万円及びこれに対する平成一〇年一一月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第二事案の概要
事案の概要は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
一 控訴人の当審における補足主張
1 本件各払戻しに押捺された印影は「藤」の字の草冠、月へん、「水」の部分の右側と中心線との空白や形、人べんの形状等において届出印のそれと明らかに相違しており、両者が異なる印章で押捺されたことは肉眼でそのまま見ても明らかであるから、これらの明白な違いを見落とした被控訴人の担当者には過失がある。
2 顧客の大切な財産を預かることを業として利益を得ている銀行は預金の払戻しに当たりその時点における技術水準に応じた注意義務を負うところ、本件各払戻しがされた当時には機械装置を利用することにより瞬時に印影の照合をすることが可能であったから、被控訴人の担当者が肉眼で印影を照合しただけでは右注意義務を果たしたことにならない。
3 銀行に過失があるか否かはその時代における一般的な銀行の注意義務の水準によって判断すべきであり、他の銀行で採られていたような慎重な対応をしていなかった被控訴人の印影照合には過失がある。被控訴人は平成一一年以降印影検索システムを全店に配置していることから、被控訴人においても本件同様の被害が発生していたことは明らかである。また読売新聞の記事は平成一一年に都銀全体で約四〇〇件もの本件同様の被害が発生していることを報じている。
4 七三〇万円もの高額な払戻しの受付をする以上、預金口座の残高を確認するのが普通であり、被控訴人の担当者がこれを確認しないまま本件各払戻しをしたことには過失がある。
二 被控訴人の認否、反論
控訴人の主張はいずれも争う。本件各払戻しがされた当時には本件のような印影複製による預金払戻しの手口は知られていなかった。
第三証拠関係
証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
第四当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人の請求は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決書一三頁六行目の「同月一六日」を「同月一二日」に、同一五頁六行目の「午後一二時五〇分」を「午後〇時五〇分」にそれぞれ改める。
二 控訴人の当審における補足主張について
1 控訴人は、本件各払戻しに使用された印章の印影は届出印の印影と明らかに相違しており、そのことは肉眼でそのまま見ても明らかであるから、これらの明白な違いを見落とした被控訴人の担当者には過失がある旨主張する。しかし、右各印影は原判決が判示するとおり酷似しており、肉眼でこれらが異なる印章の印影であることを認識することができるといえるようなものではない。被控訴人は日常的に多数頻繁にわたって行われる預金の払戻しについて原則として肉眼による平面照合により印影を確認するものとしているところ(乙一五)、前記のとおり被控訴人の担当者は本件各払戻しについて通常行っている平面照合のほかに残影照合の方法も合わせて行った上、払戻請求書に押捺された印影が届出印によるものと判断して払戻しに応じており、控訴人が指摘する印影の相違点は被控訴人の担当者が日常の業務を通じて蓄積された経験や識別能力をもって審査したとしても右照合方法により容易に発見し又は疑問を抱くといえるほどのものではないといわなければならない。そうすると被控訴人の担当者がこれを看過したことに過失があるということはできず、控訴人の右主張は採用することができない。
2 控訴人は、銀行は肉眼による印影の照合ではなく機械装置による照合識別をすべきである旨主張する。しかし、銀行の担当者が肉眼による平面照合により届出印との同一性を確認する方法は日常的に多数の預金の払戻しを反復して行う銀行業務において合理的で妥当な確認方法であるということができる上、銀行員の肉眼による平面照合によって識別することが困難であるため機械装置による照合識別を必要とするような事例はわずかであると考えられ、本件各払戻しがされた当時において既に本件同様の被害が多発していたなど機械装置による照合識別をしなければならない具体的な必要性が生じていたと認めるに足りる証拠はない(被控訴人が平成一一年以降印影検索システムを全店に配置したとしても、そのことから直ちに本件各払戻しの当時に本件同様の被害が多発していて機械装置による照合識別の必要性があったということはできないし、甲一四によっても本件各払戻しがされた当時本件のような印影複製による預金払戻しの手口が多発していて対策が叫ばれているような状況にあったと認めることはできない。)。したがって右当時においてそのようなわずかな事例のために多額の費用を投入して照合識別のための機械装置を設置する義務が銀行にあったと認めることはできず、控訴人の右主張は失当である。
3 また控訴人は、預金の払戻しが他店取引である場合には払戻請求書に届出の住所及び電話番号を記載させたり特別の窓口で手続をするなど慎重な対応をする義務がありこれを怠った被控訴人には過失があると主張する。しかし、預金者が他店で預金の預入れや払戻しをすることは日常的に行われることであるから他店取引それ自体をもって奇異であるとか警戒を要するといえるものではないし、そのような慎重な対応をすることは銀行のみならず預金者にとっても煩瑣な手続となる。これらの点を考えると、右のような対応をするか否かはそれぞれの銀行において独自に判断すべき事柄に属するというべきであって、そのようにしなければならない義務が銀行にあるということはできず、本件各払戻しがされた当時において既に本件同様の被害が多発していて右のような措置をすることが不可欠であったといえるまでの事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると、右措置を採らなかった被控訴人の対応をもって過失があるとすることはできず、この点の控訴人の主張は失当である。
4 控訴人は、高額の預金の払戻し手続をする際には口座の残高を確認する義務があり、これを確認しないまま払戻しをしたことには過失がある旨主張する。しかし、預金の払戻しは日常的に多数頻繁に繰り返される銀行業務であるところ、預金口座の残高や払戻しの金額は様々であり、小額の払戻しであっても預金の大部分を払い戻す行為であることもあれば、その逆に高額の払戻しであっても預金高のわずかな一部にすぎない場合もあるから、高額の払戻しであるからというだけで直ちに不審な払戻しであるとすることはできず、払戻しの金額により払戻しの不審性を判断する基準とすることの合理性は見いだすことができない。そうすると、高額な払戻しについて銀行員の肉眼による平面照合に加えて口座残高の確認をすることの必要性は乏しいといわなければならず、控訴人主張のような義務が銀行に課せられているとみることはできないから、控訴人の右主張は採用することができない。
第五結論
よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 宮岡章 笠井勝彦)